▼ ドリブルのとき何を考えるか?

自チームのドリブル練習で、速いタッチ。柔らかいタッチ。複雑なタッチ・・・etc。練習している低学年に聞いてみた。

指導者:
「ドリ練のとき、何考えてやっているの?アウト、イン、アウト、インからの軸裏とか考えているの?」

選手:
「そんなん考えないで。何となくポワッとした感じでやるねん。」

指導者:
「でも、アウト、イン、アウト、イン・・・って、どうやって触るんかなとか考えないと、最初難しいやろ?」

選手:
「難しいとかじゃなくて、アウト、イン、アウト、イン・・・って触ろうとか考えていたら、サッカーできないやん。試合でドリブルするとき、アウト、イン、アウト、インとか、こうドリブルするとか考えないやんか。

試合の時は、何考えているかわからないけど・・・、たぶん、どうやってゴール決めたろうかなとか、味方とか、相手のこととか、どうやってダマしたろうとか・・・、いろんなことを考えてドリブルしている。だから、ドリブル練習するときも、試合と同じような感じでドリブルしないと、練習にならないやん。」

指導者:
「そうなんや。試合のときと同じ感じで練習しているんや?」

選手:
「そんなん当たり前やん。サッカーしにきてるんやから。知らんかったん??

頑張りすぎていたら、いろんなこと考えられないやん。そんなん頑張って頑張って、やっていたら、相手ダマせないやん。新しいこともポワッとした感じで、試合と同じような感じで練習するねん。どうやって触るかなんて何となくでええねん。どうやってダマしたろうかの方が面白いねん。」

同じドリブル練習していても、その子の頭の中覗いてみないといけないみたいです。


▼ 子どもの発想の芽を摘むのは誰か?

ジュニア年代だからこそ、自然と発想する感性を大切に育てる。発想したくなる環境。発想する感性。発想する楽しさ。好奇心旺盛な子どもたちにとって、それは普通にある感性。

子どもは自然な発想でサッカーしている・・・

あれダメ。これダメ。の日本の社会において、子どもが本来持っている発想の能力を消し去っているのは、もしかしたら指導者や保護者かもしれない。答えが全て分かって決められていることは、発想せずに頑張った方がほめられてしまう。答えや手段を伝え続ければ、発想する必要性を脳は感じなくなる。生き方・行動を親が決めていれば、子どもは発想しなくなる。そここそ、大人になってから磨くことができずに苦労している人が多いのではないだろうか?かく言う、私もそのひとりですが・・・

発想する感性を育てるには、関わる大人のアプローチと我慢が問われている。後々では磨くことができないもの。ジュニア年代だからこそ磨かれるもの。子どもたちを観ていると、本来持っている子どもの感性を消さずに、育てていく必要性を強く感じる。

論理的な思考回路(手段)に囚われている大人の脳より、

やりたいこと(目的)のためだけに自由に発想する子どもの脳の方が、優れているのでは?

『発想する感性』を大切に育て、『閃く感性』を磨く。