指導とは、知識の伝達ではない。

どれほど”良い栄養”と”きれいな水”を知っていても、草木に与えすぎれば根は枯れてしまう。強い根が育つ土壌を作らずに、巨木になろうとすれば、いずれ倒れてしまう。

見えない根が強く育っているのかを想像し、どう成長していくのかを洞察する力が指導者には必要。指導者白井が、物事を洞察しながらアウトプットすることによって、指導者としての成長へとつなげる。あくまでも今は”独り言の域”の思考。

以下、白井が個人facebookに書いている”今日の独り言”のまとめ。


▼ カッコいい生き方とは “完璧さ” を見せることではなく “本気さ” を見せることである。結果は努力の後からついてきたものしか信用できないのだから。

完璧は美しい。だか、完璧でないことが醜い訳ではない。未完成であっても、不揃いであっても、完璧に近づこうという情熱とその姿勢が本気になればなるほど周りの人の心を打つ。

“何事にも本気になれ” とは思わない。その言葉はある意味で無責任とも取れるから。だがしかし、自分がこれだけは求めたいというものが少しでもあるのなら、そこは迷わず本気になった方が良さそうだ。もしかしたら、

“その本気さがあなたの人生を変えるのかもしれない”

あくまで今の自分がそう思うだけ…
今日の独り言。【2017.12.20 今日の独り言】


▼ “わざわざ” を大事にすることで、相手からも大切に想ってもらえる。

言葉の通り。

“わざわざ” という手間一つが、相手との信頼関係を築いてくれる。

言い換えれば、相手がしてくれた “わざわざ” をどれだけ感じ取り、その背景までも汲み取れる気持ちを自分自身が持てているのかに努めたい。そうすれば自ずと感謝は生まれてくるのではないだろうか。

あくまで今の自分がそう思うだけ…
今日の独り言。【2017.12.21 今日の独り言】


▼ 本当の答えは “たった一つ” とは限らない。あくまでその答えは、無数にある答えの中の “わずか一つ” にしかすぎないのかもしれない。可能性は捨てた瞬間、終わりを迎える。

常識とはその分野の結果から導き出された多数決により決まる。だからそれは、非常識が間違いということではなく、あくまで認める人間が少ないということ。

ただし結果という答えを出せば、昨日まで非常識だと思われていたことが、嘘のように一転して、今日から新しい常識に変わる可能性も当然ある。

何事も “答えは無数にあるかもしれないという希望を持って探求する” ことが大事なのだ。

あくまで今の自分がそう思うだけ…
今日の独り言。【2017.12.22 今日の独り言】


▼ 相手に期待することは他力本願にしかならない。すべてを受け入れて、自分自身にできる悔いのない “選択と行動” を取ることにのみ集中するべきである。

“こうしたい” という思いを持つことは大事だが、必ずしもその通りにいくわけではなく、むしろ思い通りにならないことの方が現実的に多い。相手をコントロールしようとするのではなく、自分自身にできるベストな選択を判断して今すぐ行動に移したい。

その一つ一つの積み重ねこそが、自分の期待に近づけるもっともな方法である。

あくまで今の自分がそう思うだけ…
今日の独り言。【2017.12.23 今日の独り言】


▼ 節目というのは、今日という1日にはなんら変わりはないが、何かを変えるチャンスとしては貴重な一つのキッカケとなる。

世間ではクリスマスイブ。もしかしたら今日が誕生日という人も中にはいるだろう。日本ではもうじき2017年が終わり、1月1日から2018年が始まる。

365日の中のたった1日ということになんら変わりはないのだが、その1日に “特別な意味” を持たせることで、その日をキッカケに何か新しいことを始めようとしたり、その日を境に、過去を反省して同じ過ちを繰り返さないように気を引き締め直したり、あくまで捉え方の違いだけではあるが “自分を変えるチャンス” にすることができるかもしれない。

“過去と未来を繋ぐ節目” というものを大切に過ごしていきたい。

あくまで今の自分がそう思うだけ…
今日の独り言。【2017.12.24 今日の独り言】


▼ 人を助ける、人の力になる、相手のためには自分の都合や状況を顧みずに行動を起こせる。そんな人であってほしい。

子どもたちを指導する上で、真面目さ、礼儀正しさ、謙虚さを指導してるか?と聞かれることがたまにある。

答えはNO…

というよりは、サッカーを通じて間接的に伝えようとはしているが “強制的に正そう” と思っては指導していない。もちろん自分自身はどれも大切なことだと思っているし、大人は皆聞かれたらそう答えるはずである。でも自分の中でもっともっと大事にしていきたいことがある。

それは、目の前で、今まさに困っている人がいた時に、真っ先に “助ける行動を起こせる人” なのかどうかということ。

どれだけ躾が良くて、立ち振る舞いが素晴らしかったとしても、いざというような状況では “見て見ぬ振り” をしてしまうのであれば、それはどうなんだろうかと人として疑ってしまう。あいつはダメだと子どもに怒っている大人を仕事上よく目にすることが多い。

生意気かもしれない、無愛想かもしれない、大人から見たらそれってどうなん?と思うようなやつかもしれない。でも、それでも困った人をいざ目の前にした時、誰よりも先に動けるやつだとしたら、そこはどう思われますか?

真面目さ、礼儀正しさ、謙虚さ、それが本当に必要だと痛感するのは大人になってからのことの方が多いと個人的には思っている。だからと言って、教えなくていいとは思っていないし、そう感じ取れるアプローチはいつでも心がけてるつもりだ。

でも、困った人を助ける行動は、たとえ子どもであったとしても、そんなことは大人子ども関係なく、人として尊敬に値する。サルヴァのやつらは “ピッチの中でその姿を表現できる選手たち” であってほしい。

彼らの指導者として、すべてを庇って守る覚悟あるから、悪いと思えば素直に頭を下げるし、物事の責任はしっかりと背負う。

だけど、一番の望みは大人から見て出来た子どもたちだなと思ってもらうことよりも、支え合って生きていく中での一人の人間として、彼らが “魅力的な人” に育っていってくれることこそが指導者としての最大の望みであり、そうなってくれることを一番近くで信じている。

あくまで今の自分がそう思うだけ…
今日の独り言。【2017.12.25 今日の独り言】


▼ “驚き” とは相手の想像を超えた時に生まれる。感動を与える驚きを目指して…

常日頃から相手を意識することで、想像を超えていくためにはどうするのか?という妄想を繰り返す。

その妄想がカタチとなれば “必ず驚きを与える” ことができる。

その驚きが感動へとつながれば最高だ!

あくまで今の自分がそう思うだけ…
今日の独り言。【2017.12.26 今日の独り言】