▼ 一つひとつの技術を積み重ねるのは野球方式
サッカーと野球の違いを考えると、どちらもスポーツとして基礎が大事であることに変わりはないですが、そのゲーム性の違いにより、上達へのアプローチの仕方は大きく異なると思います。
野球は、ある程度「投げる・打つ・キャッチする」ができないと、野球として試合を楽しめない。そのため、最初にキャッチボール、素振り、などの技術練習から入り、一つひとつの技術を積み重ねていく必要があるのは理にかなっていると思います。
投げれるようにならなければ・・・打てるようにならなければ・・・キャッチできるようにならなければ・・・試合を楽しめない。
しかし、サッカーは技術がないころからでも、十分にサッカーとして楽しめる。
もし、サッカーも同じようにドリブルを上手くならなければ・・・リフティングをうまくならなければ・・・シュートを上手くならなければ・・・技術練習からサッカーをはじめると、そこからくる上手さはボールゲームの本質とは違うことをサッカーとして捉えてしまう可能性があります。
特にリフティングは、唯一回数という明確な努力が見えるため頑張る子ほどそこに没頭していく傾向にあります。その頑張れることはとてもいいことだが、自分とボールの関係性だけを重視し過ぎて、しっかりと練習しているという満足感だけでサッカーを完結してしまいます。
その心理状況になると、その子がサッカーや駆け引きを心から楽しんでいないことに気づき、練習とサッカーが結びついていない状況になってしまうことがあります。
▼ トレードオフからは逃れられない
野球、柔道、剣道・・・etc日本が得意とするスポーツは、基礎の型をしっかりと作り上げてから、試合をするというスポーツが多いと思います。野球も「野球道」と言われることもあるくらい、「道を極める」スポーツです。極めた選手のプレーを観ることは面白く魅力があり、そこまでの努力が見えると尚更面白さを感じさせてくれます。スポーツに限らず、仕事でも、基礎から一つひとつを丁寧に積み重ねて、質の高い最終形に持って行くことを我々日本人は得意としています。
しかし、何事もトレードオフの関係が存在している以上、「丁寧に積み重ねることで、失い、育たない部分がある」のも事実です。サッカーでは、その失う部分が大事なスポーツであると考えています。
海外での指導経験のある指導者の話を聞くと、そもそも海外の子どもは、言うことをきかない。練習が面白くなかったら帰ってしまう。自分を主張する前提で行動しているから、何かを教えても言われたとおりにはしない。自分の意志で自由に行動することを教える必要はないから、サッカーを教えることができる。
しかし、日本では指導者の言うままに聞いてしまう。自分の意志で自由に行動することが得意でない子どもに、サッカーを教えることでサッカーをする・・・。その背景には、サッカーでも学校でも家でも、自分の意志より大人の言うことを聞くことが重視されている傾向があると思います。ある指導者は言います
「指導者の話を聞いて言うことをきく子は、指導者の範囲からでられない。話は聞くが言うことをきかない自由な子は、こっちが考えもしないことをしてくる。それが魅力になる。」
子ども時代に大人の思うような良い子で過ごせば、素晴らしい大人になるとは限らない。また、子ども時代に自由気ままな子が、どうしようもない大人になるとも限らない。むしろ子ども時代から、自分の意志で行動し、どれだけ人としての魅力を育てられるかの方が大切だと思います。
サッカーという自由なスポーツに、そもそも極める道や型はありません。むしろその自由さを育てることが非常に難しいのだと思います。大人が思う常識にはめ込み過ぎず、子ども時代に感じるべき「遊び心」や、この年代にしか育たない「魅力」を大切に活動しています。