▼ ワールドカップの中心にいた小くても最高のプレーヤーたち

アザール 173cm

モドリッチ 172cm

イニエスタ 171cm

メッシ 170cm

乾貴士 169cm

「体格差は重要ではない」と証明するように、

圧倒的な”ボール技術力””発想力”を武器にゲームを支配する。

そのプレーに世界中のサッカーファンが魅了されていた。


▼ 身体が小さくても目立つということは?

故ヨハン・クライフは語る(「戦術」への挑戦状より抜粋)

私がバルサの監督になったとき、真っ先にカンテラの指導者たちと会い、「誰が一番優れたプレーヤーか?」と訊ねた。

みんなが口を揃えて「グアルディオラは素晴らしい」と答えたよ。私は「わかった」と答え、その選手を見に行った。ところがセカンドチームにもユースのAチームにもおらず、年齢相応なユースのBチームにいた。

私は驚き「一番に良い選手が年齢相応のチームでプレーを続けているとは何ごとだ!」って叱ったよ。彼らの言い訳は「フィジカル的に弱いので、上のカテゴリーでのプレーは無理だと思ったんです」ってね。

私は「誰もが体は成長するから心配するな」と、くどくど言わなかった。しかし、優れた選手ならば、然るべきポジションに立ち、そこでプレーセンスとビジョンを使い、ポケットに手を突っ込んだままでもプレーできなければならない。

戦っていくことでフィジカルの優劣に折り合いをつけ、生きる術を覚えていくのだ。もし強さが足りないなら、賢くなることだろう。プレーを準備し、予見し、行動する。だから私はクラブ全体の見解に背いても、グアルディオラがバルサBでプレーするように指示したのさ。」

むしろ小さな子に注目すべきだ。これは持論なのだが、道ばたでボールを蹴っていて小さいのにうまく、目立つ子供には「なにかある」と思ったほうがいい。なぜなら、

身体が非力で小さくても目立つということは、すでに大きな相手とのプレーに慣れており、その圧力を避け、方向づけの部分で優れることができる。つまり、大人の高いレベルに入っても、自分のスキルを出せるということを意味する。小さいから何度も潰されてきたのだろうが、そうした経験から学習し、体格差を乗り越えられるようになっているんだ。

例えば子供たちを年齢でカテゴリー分けしているが、1月生まれの子供と12月生まれの子供では身体的成長度に差が出る。多くの場合、その差はプレー能力ではなく、単純な肉体能力によるものだ。育成の指導者はどうしても勝利を求め、その時点で力の差を出せる選手を使う。しかし、5年前にユースのBチームのタイトルを誰が取ったか?そんなことを誰も覚えていない。大切なのはボールプレーヤーとしての能力を見極めることだ。

ボールとトモダチになることだ。ボールを持っている限りは、相手は何もできない。

プレッシャー?それをかわすスキルを身につければいい。

そうすれば、無敵になるだろう。


▼ 育成年代の体格差はハンディではなく「自分の武器」を磨くための特性

たかだか、小学生の未発達の体格差。どんな才能が眠っているかわからない。

そんな時期の体格差で、子どもたちに劣等感を感じさせたなら、育成年代の指導者として・・・1人ひとりが自分の可能性を信じられるようにする。勝負はそこから。そのための指導者。