▼ 子どもは楽しければ「夢中」になる

子どもは本来、今この瞬間にやっていることが楽しかったら「夢中」になります。夢中な状態というのは、周りの声も聞こえずそのことだけに集中している、まさに「夢の中にいる状態。 」

子どもは、遊びに集中しているとき、テレビを観ているとき、ゲームをしているとき、声が聞こえない状態になります。親がいくら声を掛けても返事がない。「聞いていない」のではなく、その世界に入り込みすぎて夢中になり、「本当に聞こえていない状態」になることはよくあると思います。「もうすぐ御飯の時間」「この後、宿題しないといけない」など、そんな先の未来のことを考えることなく、今この瞬間に集中して入り込んでいる状態だと思います。

例えばゲームは、子どもを夢中にさせるために考えて製作されているので、子どもたちは時間を忘れ夢中になります。それは製作者がそれを目的として開発しているので当たり前と言えば当たり前です。では、サッカーではどうなのか?自チームの子ども達は、

サッカーに夢中になれているのか?

ボールと戯れることに夢中になれているのか?


▼ サッカーは「夢中」になるもの

ラグビー界のレジェンドである故 平尾誠二氏が、生前にこんな話をしていました。(細かい文面は違いますが、大筋だけと捉えて下さい。)

「これからは、「ラグビー 対 サッカー 対 野球」といった競技ごとに、子どもを取り合う構図ではなく、もっと大きな「スポーツ 対 ゲーム」という構図になってくる。ゲームは本当に面白く作られていて、バーチャルの世界で何でもできてしまう。それに比べ現実世界は練習しなければ何かをできることがない。

でも、自分でやって「やったら何でもできる」ことを、大人はスポーツを通して気づかせてあげる必要がある。スポーツを心底、面白いと思わせれるかを関わる大人は問われている・・・

子どもたちを夢中にさせるために綿密に計算されつくされたゲーム。ある意味、夢中にさせるプロです。強敵です(笑)

ボールに触れ始めたころ、子どもたちはボールを触ることに夢中です。ボールを少しでも触りたくて、ボールを追いかけます。後先考えず、疲れる限界まで夢中でボールを追いかけます。そこからサッカーチームに入り、サッカーを教えられるものと捉えてしまうと状況は一変します。まじめにサッカーに取り組む姿勢は、体育会から形成されてきた日本のスポーツ文化においては、すごく健全に見えますが、本当に子どもたちは夢中になれているのでしょうか?

親やコーチに認めてもらいたいことが、心を占めていないだろうか?

子どもたちがサッカーに夢中になることを邪魔していないだろうか?


▼ 夢中こそ才能

孔子の論語から応用した言葉にこうあります。

「天才は努力するものに勝てない、努力するものは楽しむものに勝てない。」

いくら天才でも努力を怠れば、努力する人には勝てないし、努力を苦にしている人は、夢中で楽しんでいる人には勝てない。そもそも夢中で楽しんでいる人は、努力していると自分では思わずにやり続けている。それはいつも努力して頑張っている人から見れば、努力に見えるのかもしれないですが・・・。

自チームの子どもたちを観ていると、夢中になっている子どもとサッカーの上達は密接に関係しています。ただし、技術は時間を費やし無理にでもやらせれば上達するのが当たり前ですが、駆け引きのあるプレーができているかは、受け身の心では育たない。

関わる大人には、子どもたちがサッカーを受け身ではなく、主体的に取り組めているかに対する責任があると思います。そもそも主体的に行動することを子ども時代から育んであげることは、自分の人生を生きるためにとても大切だと思います。

冒頭に戻りますが、子どもは本来、今この瞬間にやっていることが楽しかったら夢中になれます。関わる子どもたちが夢中になれているかを、いつも注視していきたいです。その中で、いつ何を教えて何を教えないかは、自チームの子どもたちをみて考え続ける必要があると思っています。