▼ 自分の身を自分で守る
周りを見る行動は、本来「生存本能」からくる自然なこと。でも、何かに守られると、本能は不要になってくる。ルールにより自分の生存が脅かされないことを知ると、ルールを守ることに頭の大半が使われる。親や先生の言うことを守るために行動する。自分はルールを守っていたのに「○○君は守っていない」と正当性を主張し、
“自分の身を、自分で守る”ことよりも
“誰かに、自分を守ってもらう”ことを考えるようになる。
「自分はルールを守っていた」そう主張しても、怪我をするのは自分・・・事故で死んでしまうのも自分・・・
▼ ルールを守っていても・・・
先日、目を覆いたくなる事故を目撃しました。前の車が右折時に、横断歩道を渡っているお婆さんと接触し、倒れたところをひいてしまうという惨事が、数m先で起こりました。お婆さんは
“青信号で、横断歩道を、横断していた“
にも関わらず、数秒後には車にひかれ血だらけになっていました。即座に、お婆さんの人命救助にあたり、救急車で搬送されるところまでは見届けましたが、その後は定かではありません・・・。
この事故のことは、サルヴァの子ども達にも話しました。「事故は怖い」とか、「交通ルールを守ろう」という話ではなく、「自分の身は、自分で守るしかない」という話をしました。
青であろうと
● 運転手は、自分に気づいているのか?
● 運転手は、スマホやカーナビに気をとられていないのか?
●運転手が、ブレーキとアクセルを間違える可能性はないのか?
「俺はルールを守っていた」と主張しても、怪我して死ぬのは自分です。
ルールなんかより、危険を想像し、生存できるかどうか?
▼ 想像力を消さずに育てる
危機
危険
察知するために、人は目と耳をフル活動させます。見えないところを見ようとします。相手の気配を感じようとします。脳で想像しようとします。どんな子でも、暗闇に入っていくとき、警戒して入っていきます。何か怖いものがいないか?何かが起こらないか?そういう状況では、”想像力“を総動員し、生存本能から、周囲を見て、耳をたてて、気配を感じようとします。しかし、普段の生活では、危険を察知しようとしなくなっていきます。
親に守られ
先生に守られ
ルールに守られ
予定に追われて、“想像力を発揮する余地”がなく、本能など不要になっていく。交通事故のお婆さんは、青信号でルールを守っていたにも関わらず、目の前で車にひかれてしまった・・・。
歩道を歩いていた。
でも、車が突っ込んできた・・・。
正しく並んでいた。
だけど、・・・。
その瞬間には、ルールなど何の意味も持たない。周りの人が助けられるのは、何かが起きた後でしかない・・・。その瞬間に、自分の身を守れるのは自分だけ。少しの”想像力”が、生死を分ける瞬間がある。大人はルールを守らせたり、言うことを聞かせたりする前に、”想像力を消さない”ように導いてあげる必要があると、子ども達を観ていて常々感じます。
▼ 脳で見えないところを察知する
サッカーにおいても、ルールの前に、本能があります。そこに危険がいつもあるという想像力が、消えてしまっていないか?低学年の頃から、ぶつかられたり、削られたときに
コーチが「あいつが悪いな」
親が「あの子が悪いな」
俺は「悪くない」
でも、それでいいのだろうか?
”自分は悪くない”と思わせた時点で、察知する必要はなくなっていく。痛い思いをしているのは、自分なのに・・・。ピッチはルールに守られた場所である以前に、危険に満ちた戦いの場。危険を察知して生き残るために、五感をフルに使う場所。目で、耳で、脳で、気配で、小さい時のファールなど、本当の危険ではない。
想像力や本能が消される危険に、大人は気づく必要がある。認知→判断→実行と小さいときから、正しく教えれば教えるほど、本能は不要になる。密集地帯の危険に飛び込まないことを脳が選択するだろう。
そうやって育ってきたのだから、監督や大人の言うこと(ルール)を聞かないことに、危機を感じるようになり、”言うことを聞く”ことを第一の選択肢とするようになる。
サルヴァにおいて、小さくても周囲を察知することに長けている選手は、サッカーで周りを見ることが大事だから見ているわけではない。認知なんて言葉で語ることではない。周りを見ろと言われて、周りを見ているわけではない。小さい時から、身体にぶつかられ、後ろから削られ、足を蹴られ、身の危険を感じる痛さを味わってきたから、脳で見えないところの危険を察知しようとしている。経験からくる想像力が、そう行動させている。
▼ 行動を決めるのは自分
子ども達に本気で向き合っている大人なら、気づいていると思います。
「言うことを聞かせること」や「ルールを守らせること」は、一番大事なことではない・・・『自分で想像し、行動していくこと』に気づかせることの方が、はるかに大事だということに。
“想像する余地”を残し、
想像力が膨らむように脳を刺激し、
行動は自分で決められるように導いてあげる。
子ども達は、ひとりひとり違うから、同じ伝え方に、同じように反応したり、同じ様に想像するわけではないです。だから、いつもひとりひとりを見て、試行錯誤の連続になりますが、サルヴァの子ども達が、どんな風に成長していってほしいかは、常に、代表 白井と共有し、その方向性に向かって、導いていきたいと思います。
『(上手くなるために)話は聞き逃さない。
でも、次を想像し、行動を決めるのは自分。』