29:先を読むのは、想像力と生存本能

周りを見る行動は、

本来「生存本能」からくる自然なこと。

でも、何かに守られると、本能は不要になってくる。

ルールにより自分の生存が脅かされないことを知ると

ルールを守ることに頭の大半が使われる。

 

親や先生の言うことを守るために行動する。

自分はルールを守っていたのに

「○○君は守っていない」

と正当性を主張し、

 

“自分の身を、自分で守る”

ことよりも

“誰かに、自分を守ってもらう”

ことを考えるようになる。

 

「自分はルールを守っていた」

そう主張しても

怪我をするのは自分・・・

事故で死んでしまうのも自分・・・

 


先日、目を覆いたくなる事故を目撃しました。

前の車が右折時に、横断歩道を渡っているお婆さんと接触し、倒れたところをひいてしまうという惨事が、数m先で起こりました。

お婆さんは

“青信号で、横断歩道を、横断していた“

にも関わらず、数秒後には車にひかれ血だらけになっていました。

即座に、お婆さんの人命救助にあたり、救急車で搬送されるところまでは見届けましたが、その後は定かではありません・・・。

 

この事故のことは、サルヴァの子ども達にも話しました。

「事故は怖い」とか、「交通ルールを守ろう」という話ではなく、

「自分の身は、自分で守るしかない」という話をしました。

 

青であろうと

● 運転手は、自分に気づいているのか?

● 運転手は、スマホやカーナビに気をとられていないのか?

●運転手が、ブレーキとアクセルを間違える可能性はないのか?

 

「俺はルールを守っていた」と主張しても、怪我して死ぬのは自分です。

ルールなんかより、危険を想像し、生存できるかどうか?

 


危機

危険

察知するために、人は目と耳をフル活動させます。

見えないところを見ようとします。

相手の気配を感じようとします。

脳で想像しようとします。

 

どんな子でも、暗闇に入っていくとき、警戒して入っていきます。

何か怖いものがいないか?

何かが起こらないか?

そういう状況では、”想像力“を総動員し、

生存本能から、周囲を見て、耳をたてて、気配を感じようとします。

 

しかし、普段の生活では、危険を察知しようとしなくなっていきます。

親に守られ

先生に守られ

ルールに守られ

予定に追われて、“想像力を発揮する余地”がなく、本能など不要になっていく。

 

交通事故のお婆さんは、青信号でルールを守っていたにも関わらず、目の前で車にひかれてしまった・・・。

歩道を歩いていた。
でも、車が突っ込んできた・・・。

正しく並んでいた。
だけど、・・・。

 

その瞬間には、ルールなど何の意味も持たない。

周りの人が助けられるのは、何かが起きた後でしかない・・・。

 

その瞬間に、自分の身を守れるのは自分だけ。

少しの”想像力”が、生死を分ける瞬間がある。

 

大人はルールを守らせたり、

言うことを聞かせたりする前に、

”想像力を消さない”ように導いてあげる必要があると、子ども達を観ていて常々感じます。

 


サッカーにおいても

ルールの前に、本能があります。

そこに危険がいつもあるという想像力が、消えてしまっていないか?

 

低学年の頃から、ぶつかられたり、削られたときに

コーチが「あいつが悪いな」

親が「あの子が悪いな」

俺は「悪くない」

でも、それでいいのだろうか?

 

”自分は悪くない”と思わせた時点で、察知する必要はなくなっていく。

痛い思いをしているのは、自分なのに・・・。

 

 

 

 

 

もし、侍をピッチに立たせれば、たとえ上手くなくても、後ろから削られることはない。

無意識に周囲の危険を見るし、気配で避けるだろう。

ピッチはルールに守られた場所である以前に、

危険に満ちた戦いの場。

危険を察知して生き残るために、五感をフルに使う場所。

目で

耳で

脳で

気配で

 

小さい時のファールなど、
本当の危険ではない。

想像力や本能が消される危険に、
大人は気づく必要がある。

 

認知→判断→実行
小さいときから、正しく教えれば教えるほど、本能は不要になる。

密集地帯の危険に飛び込まないことを

脳が選択するだろう。

そうやって育ってきたのだから、

監督や大人の言うこと(ルール)を聞かないことに、危機を感じるようになり、

”言うことを聞く”ことを第一の選択肢とするようになる。

 

 

故 ヨハン・クライフは語る

『戦っていくことでフィジカルの優劣に折り合いをつけ、生きる術を覚えていくのだ。もし強さが足りないなら、賢くなることだろう。

 

プレーを準備し、予見し、行動する。

 

身体が非力で小さくても目立つということは、すでに大きな相手とのプレーに慣れており、その圧力を避け、方向づけの部分で優れることができる。

 

つまり、大人の高いレベルに入っても、自分のスキルを出せるということを意味する。

 

小さいから何度も潰されてきたのだろうが、そうした経験から学習し、体格差を乗り越えられるようになっているんだ。』

 

 

 

サルヴァにおいても、小さくても周囲を察知することに長けている選手は、

サッカーで周りを見ることが大事だから見ているわけではない。

認知なんて言葉で語ることではない。

周りを見ろと言われて、周りを見ているわけではない。

 

小さい時から、

身体にぶつかられ

後ろから削られ

足を蹴られ

身の危険を感じる痛さを味わってきたから、

脳で見えないところの危険を察知しようとしている。

経験からくる想像力が、そう行動させている。

 


子ども達に本気で向き合っている大人なら、気づいていると思います。

「言うことを聞かせること」や「ルールを守らせること」は、一番大事なことではない・・・

 

『自分で想像し、行動していくこと』

 

に気づかせることの方が、はるかに大事だということに。

 

“想像する余地”を残し、

想像力が膨らむように脳を刺激し、

行動は自分で決められるように導いてあげる。

 

子ども達は、ひとりひとり違うから、同じ伝え方に、同じように反応したり、同じ様に想像するわけではないです。

だから、いつもひとりひとりを見て、試行錯誤の連続になりますが、サルヴァの子ども達が、どんな風に成長していってほしいかは、

常に、代表 白井と共有し、その方向性に向かって、導いていきたいと思います。

 

『(上手くなるために)話は聞き逃さない。

でも、次を想像し、行動を決めるのは自分。』

 

サルヴァ・ジ・ソウザ
副代表 HDコーチ 久米